本コラムは、【連山】に 2007年03月20日に投稿したコラムです。
【旧連山コラム】アジア通貨危機
橘みゆき 2007年03月20日
2004年12月26日、スマトラ島沖地震(M9・3)が発生し、地震に伴う津波でインド洋全体に津波が発生し、25万人以上の人が亡くなりました。
震源地に近いアチェ州では武装勢力と国軍との対立が続いていたため、被害の把握や救援活動に大きな支障が出ました。
社会の混乱が地震などの自然災害により増幅されるように見えます。
泣きっ面に蜂とはよく言ったものです。
オランダの植民地時代
インドネシアの歴史をおさらいしてみよう。
インドネシアは、インドと中国やフィリピンの間に位置しているため、交易により繁栄していた。
インドネシアはイスラム教国の中で最も人口が多い国だが、これは交易をしていたムスリム商人を通じてイスラム教が広まっていったことによる。
14世紀から15世紀にかけて、イスラム教と奉じる王国がいくつも誕生していた。
ヨーロッパの大航海時代、東インド(当時のインドネシアの呼称)の香辛料を求めて、イギリスやポルトガルなどヨーロッパ人が大挙してこの地を訪れた。
競争が激化する中、オランダは東インドとの交易を一本化し、1602年オランダ東インド会社をアムステルダムに創立した。
1619年、第4代東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャカルタに東インド会社の本拠地を置いた。
オランダ東インド会社が産み出す富によりオランダは17世紀に黄金期を迎える。
当時、鎖国状態の日本と唯一貿易が認められていた。
オランダによる植民地となったインドネシアは、オランダ人によるプランテーション経営が広まり、経済的な搾取が行われていた。
1917年のロシア革命の成功を見て、インドネシア共産党による武装蜂起が1926年になされたが失敗し、共産党は事実上解体した。
1928年、インドネシアの独立のため、多くの民族をインドネシア人として統一し、独立を達成するために、スカルノ を指導者とするインドネシア国民党が結成された。
独立運動を続けた。
インドネシアの独立 スカルノ大統領の時代
1942年2月、日本軍の侵攻により、オランダの植民地支配は終わった。
日本の占領下でスカルノは勢力を伸ばしていったが、1945年8月に日本が降伏した直後、インドネシアは独立を宣言した。
その後、4年間にわたって、インドネシア独立戦争が続いた。
イギリスとオランダに対して、旧日本軍の残党との共闘や、旧日本軍の軍備の横流しにより戦争を続けていた。
インドネシアの独立は1949年12月のハーグ円卓会議で認められた。
こうしてインドネシアは独立を手にしたが、元々多民族国家であるがゆえ、インドネシア国民としての統一したアイデンティを保つことが困難であった。
そのため、地方反乱や暴動が続き、国内は内乱状態が続いた。
初代大統領に就任したスカルノ大統領は、国軍を強化し、武力により反乱を鎮圧した。
1965年、西側諸国との対立から東側陣営に接近したため、大統領+共産党と国軍との対立が激化した。
1965年9月30日のクーデター未遂事件をきっかけて、軍部の スハルト陸軍参謀総長 は、政権を奪取した。
スカルノ大統領は1967年に大統領を辞任した。
スハルト大統領の時代
スハルト大統領 は、西側諸国との連携を強め、西側諸国から経済援助を引き出すことにより、インドネシアの経済発展をめざした。
また1967年、東南アジア諸国に呼びかけてASEANを設立した。
スハルト大統領もまた、地方反乱や暴動に対して、強力な国軍による力の支配を行った。
スハルト政権は30年もの長期にわたった。スハルト大統領を退陣に追い詰めたのは1997年から98年にかけて東南アジア諸国を襲った アジア通貨危機 である。
スカルノ政権もそうだったが、インドネシアは大統領による独裁が行われ、国軍による力の支配によって、国の分裂を避けてきた。
元々多民族による国家のため、それぞれの民族が独立を主張して地方反乱が起こりやすい国なのである。
アジア通貨危機下のインドネシア
1997年7月、タイが変動相場制に移行したことでスタートしたアジア通貨危機において、インドネシアは最も甚大な被害を受けた。
インドネシアの通貨ルピアは同年8月にドルペッグ制から変動相場制に移行した。
その後もルピアは値段を下げ続け、翌年1月にはIMFの融資を受けることを決定した。
IMFの融資と引き換えに実行しなくてはならない施策は、タイや南朝鮮の場合と同様、政府支出を減らし、対外債務の利払いに充てるものであった。
IMFの施策を実行することにより、インドネシア経済に強烈なデフレに見回れた。
アチェ州の独立運動が盛り上がり、武装勢力と国軍が対立していた。
失業者は増大し、物価はどんどん上がる・・。治安は悪化し、暴動も起こるようになった。
スハルト大統領は中央銀行総裁を更迭するが、国内の混乱は治まらず、辞任を余儀なくされた。
スマトラ島沖地震 ユドヨノ大統領の時代
アジア通貨危機で辞任したスハルト大統領の後、初代大統領の娘、メガワティ大統領が就任したが、経済問題についてはうまい対策がとれなかったため、2004年の大統領選挙で、落選。国軍出身のユドヨノ氏が当選した。
2004年12月26日、スマトラ島沖地震(M9・3) が発生し、地震に伴う津波でインド洋全体に津波が発生し、25万人以上の人が亡くなりました。
ちょうどクリスマス休暇を楽しんでいた観光客がタイのプーケットなどで津波に巻き込まれました。
この地震は観光客が撮影した多くの映像が記録された津波のため、津波による被害をTV放送でまのあたりにすることができました。
欧米諸国ではお正月を過ぎても、スマトラ島沖地震関連の番組が多くの時間を割いて放送されていましたが、日本では撮り溜めしたお正月の特別番組を通常通り放送したため、良識ある人は憤慨していました。
ユドヨノ大統領は大地震からの復興をするために全世界からの支援を求めました。
アチェの武装勢力にも停戦を呼びかけました。

地震による津波は、インド洋全体に広がりました。
津波による被害を見ると、観光地は別として、独立を求めて戦闘状態となっているスマトラ島西部のアチェ州の州都バンダ・アチェはひどいものでした。
震源地に近いアチェ州では地震そのものの揺れと、津波による被害が甚大であったのにも関わらず、武装勢力と国軍とが対立が続いていたため、被害の把握や救援活動に大きな支障が出ました。
スリランカ東部では海岸線に沿って地雷が埋められていて、ある程度どこにあるか分かっていたのですが、津波によって地雷がどこに移動したのか分からない状態です。
住民は安心して暮らせなくなりました。
このように内乱状態だと自然災害による影響は目をおおうばかりです。
明るい話題といえば、日本やアメリカを始めとする多くの国が救援活動に協力しました。
人殺しをするよりも人助けをすることでアメリカの兵隊さんも大喜びでした。
地震の後、マラリアなどの伝染病の発生が懸念されています。
また、治安の悪化に伴い、犯罪や略奪の増加、性的暴行や子供の誘拐が横行しています。
道路や港などインフラの復興をしなければなりません。
インドネシアが地震から復興するには、もう少し時間が必要です。
こうして見ると、社会の混乱が地震などの自然災害により、増幅されるように見えます。
橘みゆき 拝
Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/05/16 橘みゆき 拝
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【関連するHP】
アジア通貨危機 (Wikipedia)
外務省のHP:インドネシア共和国
スカルノ大統領 (Wikipedia)
スハルト大統領 (Wikipedia)
ユドヨノ大統領 (Wikipedia)
スマトラ島沖地震による津波 (Wikipedia)
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