【旧連山コラム】1994年のメキシコ通貨危機

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本コラムは、【連山】に 2007年01月31日に投稿したコラムです。

 

【旧連山コラム】1994年のメキシコ通貨危機
橘みゆき
 2007年01月31日

 

メキシコは1982年と1994年に経済破綻し、多くの国民が急激なインフレと失業に苦しみました。
国際金融市場のマネーが利益を求めて、発展途上国や新興国にどんどん投資されていき、そのマネーが暴れたり逃げ回った結果、悲劇がもたらされます。
1994年のメキシコ通貨危機は、IMFが再建に乗り出して成功した事例のため、その後のアジア通貨危機などにも適用され、その国の経済を徹底的に破壊します。
まるでイナゴの大群のように。

 

1982年メキシコの債務危機

メキシコで石油投資ブーム
メキシコへの投資

1970年代、石油価格高騰を受け、メキシコで石油投資ブームが発生した。
また、メキシコの賃金がアメリカよりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えていた。
国際金融市場を行き交うマネーが急増し、利益を得るために発展途上国への融資をどんどん行っていた。
ちょうど1995年前後、1ドル100円水準の円高を受け、日本から東南アジアへ工場が移転し、東南アジア諸国に投資が急増したのに似ている。

メキシコへの投資は、米国の金融機関にとって、比較的安全なものと判断されていた。
ドルとメキシコ・ペソは固定相場であり、当時、メキシコの石油公社や電力会社は国営であり、メキシコ政府による債務保証が付けられていた。
国家が破産するはずがないと信じられていた時代である。

米国よりメキシコの金利が高いため、アメリカで資金を調達し、メキシコに投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。
そういう事情により、メキシコの対外債務は急増していった。
債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。

ところが、1980年代になると米国の金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。
1982年8月、メキシコは利払いの一時停止(モラトリアム)を宣言する羽目になった。
メキシコ国民は急激なインフレと失業の増大によって苦しんだ。

1982年メキシコ債務危機まとめ

当時のメキシコの対外債務は870億ドルであった。
メキシコ危機が国際金融機関に与える影響が大きいため、IMFと米国財務省、国際商業銀行団により救済措置がとられた。

1982年の利払い分に相当する80億ドルを緊急融資が実行され、翌年には70億ドルの追加融資が行われた。
さらに、債務を返済するため、厳しい措置がなされた。石油公社や電力会社の民営化はもちろん、貿易自由化などを強要する条件で、メキシコとIMFを始めとする国際金融機関との合意がなされた。
この成功を受け、メキシコ債務危機以降、発展途上国で債務危機が発生した場合の対応策として適用されることとなる。

1982年メキシコ債務危機の救済

メキシコに再び資金が戻ってきた。
新規投資の資金ではなく、メキシコ人の富裕層が米国に流出させたマネーであった。
このマネーが民営化された国営企業や銀行の購入資金となった。
売却された国営企業の資産価値は売却額よりもはるかに高かったため、メキシコ債務危機が終わって見ると、一部の富裕層がさらに裕福となり、大半の国民がより貧乏になるという結果をもたらした。
ここで大もうけした人達が、メキシコの経済改革を徹底的に行い、再び、アメリカや日本などの外国から資金を集めることに成功し、再びメキシコの対外債務は増加していった。

 

1994年メキシコの通貨危機

メキシコは1986年GATTに参加した。
外国から資金を呼ぶため、金利は高く設定され、ペソは過大評価されていた。
(この点、アジア通貨危機直前の状況と似ている)
その結果、輸入が急増し、輸出は不振となり、貿易赤字が増大していた。

1990年の貿易赤字は1000億ドルに達した。
さらに、1992年12月、NAFTA(北米自由貿易協定)が調印され、アメリカからメキシコへの投資ブームが起こった。
1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力を求めて、アメリカの製造業がメキシコに大挙して工場を建設した。
メキシコは空前の好景気に沸いていた。

メキシコへの投資

バブルの崩壊は突然であった。
1994年2月、南部で先住民による武装反乱が発生。
3月には大統領選挙の候補が暗殺された。
この事件をきっかけにしてカントリー・リスクの懸念が表面化した。

メキシコ・ペソ売りドル買い圧力の増加に対抗するため、メキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きてしまいました。
その結果、12月に固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。

1994年メキシコ通貨危機

メキシコ通貨危機を防衛するために、メキシコ政府は額面がペソで元利金の支払いがドルで行う政府短期証券「テソボンド」を大量に発行しました。
この債権がメキシコ通貨危機が治まった後に事実上のドル建てで取り戻せたため、これを購入した富裕層はたいへん儲かりました。
1982年のメキシコ債務危機に続いて、1994年のメキシコ通貨危機でも、経済破綻を通して、富裕層がさらに富を増やしました。
メキシコに投資した投資家たちは巨額の損失を被り、メキシコ国民は急激なインフレと大量失業という苦しみを味わうことになったのですから、なんとも後味の悪い結果です。
・・・というのが、メキシコ通貨危機のあらましなのですが、メキシコに投資されたアメリカの資金が本国に戻っていったというのが真の原因なのではないでしょうか?

1994年メキシコ通貨危機真の理由

1991年から1993年にかけて、アメリカの低金利を背景に大量のマネーが世界へ広がっていきました。
それが、1994年2月にアメリカの金融引き締めにより金利が上昇。
資金繰りをつけるため、世界各国に投資されたマネーを本国に還流せざるを得なくなりました。
そのため、メキシコは資金不足となり、通貨危機になったのです。

トルコでも同じ理由で1994年4月に株が暴落しました。
アジア各国も影響を受けましたが、1994年当時は円高でしたので、日本から東南アジアへの工場移転による投資があったため、通貨危機に至らずに済みました。
(円安に反転した1997年に先送りされたとも言える)

資金の流れ

橘みゆき 拝

Neo-Generation.NETへ再掲載:2009/05/08 橘みゆき 拝

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